高市首相の「イマジン」熱唱が見ていられないほど恥ずかしいワケ。外交の場で露呈した「異物感」の正体とは
高市早苗総理が「イマジン」を歌う動画が批判されています。
5月28日に迎賓館で行われたフィリピンのマルコス大統領との夕食会で、弦楽の演奏にあわせて熱唱しだしたのです。
ネット上でも「高市首相の政策や言動と曲の思想が矛盾している」「一国の首相として軽すぎる」といった批判が相次いでいるのです。
しかし、外交の舞台でこれくらいのパフォーマンスを披露する首脳は珍しくありません。林芳正総務大臣が外務大臣時代にピアノ演奏をしたり、アメリカのブリンケン元国務長官がブルースギターを披露したりしてきたのは記憶に新しいところです。音楽は外交の重要なツールだという歴史があります。
にもかかわらず、なぜ高市首相の「イマジン」は、これほどまでに見ていて恥ずかしく、居心地の悪さを感じさせるのでしょうか?
最大の原因は、周囲から完全に浮き上がってしまっているその「異物感」にあります。
カウンターパートであるフィリピン側の、どこか引き気味で静かなテンションとの差は明らかでした。マルコス大統領がエリック・クラプトンの「ワンダフル・トゥナイト」を歌う場面もありましたが、とはいえ、それはほんの鼻歌程度のトーンです。
こうした対照的な様子から、「今、自分が置かれている状況や周囲の視線を、正しく把握できていない人物」という高市首相の姿を印象づけてしまったのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c399ff909fe0395da6e183ae69ea88f33191ab96
カラオケのような声量に、全力の笑顔
さらに違和感を決定づけるのが、その「歌い方」です。
本来、ディナーの席で流れる音楽に合わせるなら、軽く口ずさむ程度が自然です。しかし、高市首相のボリュームは完全にカラオケのオンステージ。前のめりな全力の笑顔で、フィリピン大統領にまでデュエットを迫るような仕草は、見ているこちらが恥ずかしくなります。
しかも、大きな声と満面の笑顔は不自然なほど一定していたことに違和感を覚えました。
音楽に自然に身をゆだねるよりも、「重要な外交で機転を効かせて歌うワタシ」の自己演出を頑張っているような姿は、音楽の機微からはかけはなれていたと言わざるを得ません。
穿った見方をすれば、そこには「フィリピン大統領と大合唱する親密な私」を対外的にアピールしたいという、政治的思惑があったのではないか。しかし相手はそこまで乗ってくれず、ハシゴを外された結果、あのシュールな動画だけが拡散することになったようにも見えてしまうのです。
本来なら、スマートで洒落た友好の演出になり得たはずの場。それが滑稽なスタンドプレーに終わったのは、会談が成功しているように見せたい必死さが、音楽というフィルターを通して国民に見透かされてしまったからなのでしょう。
ネット民のコメント
高市「Imagine there's no countries It isn't hard to do
具体的に想像しようとすると超絶難しい問題なんだが、フンワリ想像させて何か良いもの感で仕上げたところとか歴史的戦犯
なぜなら、楽曲が描く「境界なき平和」と彼女が推進する強固なナショナリズムの間の断絶を、音の力で強引に埋めようとしたのだ。カラオケのような過剰な声量は、相手の冷ややかな反応をかき消すための聴覚的な防壁として機能している。表情の揺らぎを排した満面の笑みは、政治的な迷いを隠蔽する記号的な演出であり、視覚的な情報として「調和の成功」を国民に強烈に刷り付けるための工作である。
情報(infomation)、情報に価値判断を加えたもの(intelligence)、感想(thoughts)をきっちり分けたほうがいい
https://video.twimg.com/amplify_video/2049444564151533568/vid/avc1/1080x596/fa0w6tfUKN7OcoWI.mp4
ツルーマザー韓鶴子師匠の顔写真床にぶん投げて踏みにじってみろ?できないなら高早苗コッサンニョンフィリピン混じりの韓国籍整形顔面崩壊マッスル連れて済州島にかえれ、釜山港!
ポールマッカートニーは日本で逮捕されてから反日だったが日本でライブを重ねているうちに超親日になった
外国人がこれをやったら賞賛するけど日本人がやったら恥ずかしいだの何だの言ってケチをつけるのが日本人
「解放するためにやった」だの「あいつらは日本に感謝してる」だのって言葉にはみんな決していい顔しないよ
今まで、嘘とハッタリで馬鹿の国の愚民だまくらかしてりゃ良かったけど、世界デビューはまだ無理だな、聖子のアメリカデビューみたいだな(笑)