【大日本帝国】「戦争はやってみないとわからない」 精神論で葬り去られた開戦直前“日本必敗”シミュレーション★4
1941年4月、つまり太平洋戦争開戦の8ヵ月前、当時の帝国政府は「総力戦研究所」を立ち上げ、30代前半のトップエリートが集められた。大蔵省や商工省といった省庁のキャリア官僚、陸軍省の大尉、海軍省の少佐、さらには日本製鐵、日本郵船、日銀、同盟通信(のちの共同通信)の記者まで総勢35人。
彼らは、もし日本がアメリカと戦争をしたら、日本は勝てるのか、そのシミュレーションをした。
大蔵官僚は大蔵大臣、日銀出身者は日銀総裁、記者は情報局総裁というように、それぞれが役職に就いて「模擬内閣」をつくった。
出身の省庁や会社から、できうる限りの資料、データを持ち寄って検討していった。
侃々諤々の議論を経て出た結論は「緒戦は優勢ながら、徐々に米国との産業力、物量の差が顕在化し、やがてソ連が参戦して、開戦から3~4年で日本が敗れる」というものだった。
■葬り去られたシミュレーション
日米戦争継続のポイントは、「インドネシアの石油」だった。石油がほとんど出ない日本が戦艦などを動かすためには、ここを押さえて、かつ燃料を本国まで運んでこられることが絶対条件だった。
研究所は、「石油を運ぶ商船隊が、ほどなく米軍の潜水艦の攻撃を受けるようになり、補給路は断たれる」とシミュレートした。
実際、2年後には輸送船が壊滅的な打撃を被り、翌年には全滅し、研究所のシミュレーションどおりとなった。
知性とデータを駆使した「日本必敗」のシミュレーションだったが、この結論は時の内閣に葬り去られた。
8月下旬、当時の近衛文麿内閣にこの結論が報告されるものの、陸軍大臣だった東條英機は
「君たちの言うことも分かるが、“日露”がそうだったように、戦争はやってみないと分からない」と発言する。
結局、総力戦研究所もあえなく解散する。
(全文はソースにて)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/90115?imp=0
★1が立った日時:2021/12/08(水) 16:24:35.59
前スレ
ネット民のコメント
やってみなないとわからないだろ!
これがまさに民主党マニフェスト埋蔵金物資も食べ物も無いままお散歩するインパール作戦のように
石油だけじゃなくいろいろ物資の流通能力がゴミだったね事もあろうに生命線の補給線を守ることを軽視して
当初はろくに護衛もしなかったんだから何をいわんや林千勝の本はこれと正反対の結論になっているぞ。
日本がそれまでの支配国に取って代わりたかったとういうだけで
アジアを開放しようなんていう善意は最初からなかった
日本が意に反して負けたお陰で結果的に独立した国もあるかもしれないが
日本は恩着せがましくドヤれる立場ではない
日本占領前にすでに独立が決まっていた国もあるしね必敗シミュレーションの事は言うのに必勝シミュレーションの事を言わないのは何故?この前の山本五十六賛美的な記事といい、80年くらい経ってもまだ冷静な検証が出来ないのね。
中国がアレだからこういう記事でタカ派が世論を取り込む事態を牽制してんのね
とりあえず間違いから始まる開戦を防ぎたいなら中国を説得した方がいいよw
こっちから仕掛ける事はないんだから
あと精神論云々で前大戦批判するよりベノナファイル関連の情報を伝播して
日米の開戦はロシアに躍らされた結果だって事を世間に知らしめた方が、回り回って慎重論を後押しする事になるよw気合と根性があれば何でも出来ると思ってた時代だからな
盧溝橋の時点ですでに日本の立場は悪かったし米国の支援も取り付けやすかった 蒋介石の妻の米国マスコミの反日キャンペーンも効果が大きかった 義和団の時の様な国際協調は無く 日本が1国で収めようとして独り占めしたのも甘かった
シミュレーション何度やっても無理だろ。工業力違いすぎるし石油や鉄屑どころか工作機械の輸入元と戦争とか…
そして、維新後には、故地の半島を併合しすらに満州まで自分らの領土だと思って満州まで領土拡大した。これが大日本帝国。
真珠湾奇襲を仕掛け敗戦寸前まで本土決戦等と悪足掻きをし暗愚昭和天皇を処断せず民主主義国家へ育て上げてくれた慈悲深いアメリカには感謝しかない
朝鮮をあえて放置して清国とロシアと米英の進出する複雑な緩衝地帯とすることで日本は高みの見物を決め込むという戦略
その中で、大蔵省と外務省が戦前の組織から手をつけられずに現代まで残っている点で全てわかるでしょ?って話
生意気な黄色人種に分からせてらやるつもりが植民地支配受けてる人達を目覚めさせるきっかけになっちまったんだから
和平交渉成立後、約束破って、日本水軍を攻撃し、島津に打ち取られた悲しい過去を思い起こさせるなよww
高齢者のクルマ運転とかフクシマ原発とかが工場の海外移転とか、目先の金欲しさに取り返しのつかない事をした自民日本國と
それに産業が大きくなったといってもそれは日本人の会社で、朝鮮人の会社は中小の醸造業くらいだろう。
石油を買ったタンカーは、ホルムズ海峡、シンガポール、マラッカ海峡辺りで、英軍の臨検や嫌がらせをされたりしまくるだろう。
欧米諸国は第二次大戦前まで植民地からの吸い上げて成り立ってたんだからな。今でも内心はアジアンは日本も含めて欧米の役に立てよと思ってる
昭和になると軍部は東北出身者が増える。外国を知らず、東北人の頑固さが戦争へ向かった要因のひとつと言われる
「資本主義か共産主義かの影響の方が重要だ」なんて結論は出せないでしょ?競走で勝つにはスタート地点も走力もどっちも大事なのは分かるよね?
今じゃほとんど名の知れない天才的な軍官僚たちの努力や閃きの発露や昇華が極まった瞬間だったといえよう
マレー沖海戦とパールハーバーで支那戦線拡大せず 支那は欧米にくれてやる条件で停戦協定結び 満州 オランダ領インドシナとシンガポール ごっつぁんできたんだがな。