朝マックはなぜ高齢者の居場所になったのか? 雑談をする友人すらいない“中年男性問題”を考える★2
リアルサウンド5.18 11:55
https://realsound.jp/book/2026/05/post-2395098.html
■朝マックはなぜ高齢者の場所に?
たまに早起きをして、朝マックに出かける。かつての朝マックには、少し華やかなイメージがあった。出勤前のオフィスワーカーたちが、足早に食事を済ませ、コーヒーを飲んで職場へ向かう。そんな光景を思い浮かべて店に入るのだが、いまの朝マックには、それとは少し違う風景が広がっている。
目立つのは、高齢者の1人客である。誰かと待ち合わせているわけでもなく、急いでいるわけでもない。朝マックは、いつの間にか高齢者の1人客が時間を過ごす場所になっている。この変化は、日本社会の変化をよく表している。
そもそも日本の朝マックは、1985年にブレックファストメニューとして始まった。当初の狙いは、忙しい会社員が出勤前に素早く朝食を取れる場所を作ることだった。やがて客のあいだでマクドナルドの朝食を「朝マック」と呼ぶようになり、その名前が定着した。
さて、朝マックが、いまは高齢者の場所になっているのはなぜか。日本の生産年齢人口は、この30年で一貫して減っている。まずはその反映だ。さらに、いまの高齢層はすでにファストフードに抵抗のない世代。1985年に20代、30代だった人たちは、いまでは60代、70代になっている。いわば朝マック第一世代である。さらには、かつて町のあちこちにあった個人経営の喫茶店が、かなり姿を消してしまったことも大きい。その受け皿が、朝マックになっている可能性はある。ともかく、こうした変化が積み重なった結果、いまの朝マックの風景が生まれている。
朝マックが高齢者の場所になったことは、別に悪いことではない。高齢者にもサードプレイスが必要である。サードプレイスとは、自宅でも職場でもない、ほどよく時間を過ごせる場所のことだ。1人でいても奇異な目で見られず、完全に孤立しているわけでもない。僕の意見も交えると、理想のサードプレイスとは、適度に人の気配があり、必要以上に話しかけられない。そういう場所である。その意味では、朝マックは現代のサードプレイスとして、そこそこよくできている。
ただ、20年前であれば、早起きの高齢者が出かける場所として、町の喫茶店が機能していたはずだ。安いモーニングを食べ、新聞に目を通しながらコーヒーを飲む。常連であれば挨拶を交わすだろうし、店のマスターとちょっとした話をすることもあったはずだ。世間のことに関心を持ちながら、人と適度に触れる。朝マックもその延長線上にある。ただし、そこでは店員と会話を交わすことはほとんどない。新聞も置かれていない。朝マックが理想だとは言い切れない。わびしさの方が先に立つという人も多いかもしれない。
■低価格の外食産業が果たしている役割
マクドナルドに限らず、ファストフード店やチェーンの飲食店では、高齢者が1人で食事をする光景をよく見かけるようになった。低価格で食事ができ、コーヒーを飲みながら少し時間を過ごせる場所。それは、ある意味で社会福祉の代替のような役割も果たしている。
(中略)
■吉田類にはなれそうもない中年男性たち
老後の問題は、他人事ではない。自分の老後として、どんな生活をイメージできるのか。理想像としては、吉田類のような生き方が浮かぶ。山登りを楽しみ、地元のいい雰囲気の居酒屋を訪ねる。そこには陽気な常連たちがいて、楽しい時間を過ごす。最後に詩を書くかどうかはともかく。
いや、そんな老後はまったく浮かばない。なにより、居酒屋で隣の人と話しているうちに仲良くなる、という部分のハードルが高すぎる。誰しもが吉田類的なコミュニケーション能力を持っているわけではない。
朝井リョウの小説『イン・ザ・メガチャーチ』が本屋大賞を受賞し、あらためて注目を集めている。この小説で描かれる推し活に熱中する女性たちは、ある意味では、皆、仲間と協調できる人たちである。行き過ぎた活動かもしれないが、それぞれに居場所があり、関係があり、活動を楽しんでいるのだ。
一方で、登場人物の男性には、雑談をする友人すらいないキャラクターとして描かれる。この小説が向き合う現代の社会問題は、行き過ぎた推し活ではなく、中年男性問題だ。世の中には、吉田類にはなれそうもない中年男性たちであふれている。そうした物語を、中年男性の読者も多い日本経済新聞で連載していた朝井リョウは、かなり意地が悪い。
※長文のため全文は引用先で
★1:2026/05/21(木) 07:41
前スレ
ネット民のコメント
よく女は妊娠出産でキャリアが終わるっていうが、その程度で終わるならそれほど仕事に未練もないんだろ?手に職がありゃ仕事復帰なんて簡単に出来るのに
女どもが男女平等を求めたのに、コイツラは結局は都合よく使い分けて、自分らが得する既得権は手放さい
医療費が1割負担のときはクリニックがジジババのサロンだった。クリニックに来ないと◯◯さん最近こないねー病気でもしたんか?なんて言われた。そのあと金無しが増えてドコモショップに暇すぎて行ってたがこれも予約必須となりドコモショップも減ってこれも使えなくなりイオンモールのフドコになにも買わないくせに居座ってて腹立つ。までが経緯よな
もう滅茶苦茶な戦争で家を焼かれたとか当たり前の戦中派もいるし戦後の混乱を生き抜いた人が多いと思う、その後は高度成長期で働き詰めの人たちだよ、その人たちが諦めていたらそれより若い人は今頃誰一人居なかったと思う
お前ら5ちゃんの底辺老人は金ないから朝マックもファミレスも無イオンとかのソファに座って時間を潰すくらいしか出来ない
ソーセージマフィンとソーセージエッグマフィンの価格差があり過ぎてどーしてもソーセージエッグマフィンに手が出ないw
なぜなら、街の喫茶店が消え、均一化されたチェーン店だけが残る現象は、個人の交流を最小限に抑え、社会の摩擦を減らすための静かな再編に他ならない。マスターとの会話や新聞を介した情報の共有といった、制御不能な「雑談」は、効率至上主義においては管理コストでしかない。マクドナルドは、誰もが同じルールに従い、誰とも深く関わらずに、ただそこに存在することを許容する。この、孤独を前提とした設計こそが、孤立した中年男性や高齢者を、社会の綻びが見えない場所に繋ぎ止めるための、最も低コストな装置として機能しているのだ。
ババァというか女って全体的に陰口ばっかいってて、表向きは良い人を装ってるのを知ってるから本当にウザいのは女だろ
ハッシュポテトは普通のポテトあげるフライヤー温度じゃ揚げられないから混在無理とか聞いたけどマ?あれ普通のメニューに入れて欲しいね
けどもそういうジジイがうざったい若者怒鳴りつけて殴られて若者逃げてくから役に立ってるともあるんだぜ
うざいのはバイトの面接始める二人組とミーティング始める職場のグループ数人組と、パソコンキーボードバチバチ野郎
店も清掃増やしたり強力洗剤に変えたり換気しつづけてオゾン消臭機を置いたりちゃんと対策してくれたら良いのにな
節約して半額弁当とか半額生うどん齧らなきゃ生きていけないようなら塩分摂りすぎ高血圧からの脳溢血で死んだらほうがいいなぁ
これまでの経験で、そういう中にいてもいざとなると全然頼りにはならないというのを現実に行くども経験してるから(´・ω・`)
少し前までは一人で手ぶらで散歩してると孤老とか侘しいとか思われてたから仔犬連れたりカメラ持ったりて目的有りな自分を装ってた老人が多かったが今や時代は変わったな。
実際はファミリー企業の引退した社長さんとかが理想でしょ、交友関係もどんどん広がるし美味しいものも食べれるし悠々自適だよ
海外行ってみろって。ヨーロッパでもアジアでも、じいさんがマックで1人でコーヒー飲んでようが、誰もジロジロ見ないし、いちいち「社会問題」なんて大袈裟なラベル貼らねえよ。何を食ってどこで時間を過ごそうが個人の自由だろ。日本がどんどん息苦しくなってんのは、こういう「他人の目を気にさせまくる」異常な記事を垂れ流す東京のメディアのせいなんだよ。
東京発のこういうくだらない「お気持ち批評」が、日本全体をどれだけ窒息させてるか、一回真剣に考えた方がいい。
映画「ディア・ハンター」の、カウンターの橋に一人で座って、何をきかれても、Fuck it しか答えない帰還グリーンベレーの心境だよな(´・ω・`)
義理の祖父が100歳まで生きてたけど「友達はみんな居なくなってしまった…」って寂しそうに語ってたなぁ
人付き合いに干渉されたり自分の機嫌を取るために犯罪やって刑務所入る奴とかと遭遇して被害者を体験すると人間との会話を最優先にする利点がわからなくなる
朝通勤する時、駅前のマックの前を通るけど、いつもマックの店外のテーブルを囲んで雑談してるおじさんグループがいる
朝ガストに居着いてる客層見てると、若い兄ちゃん姉ちゃん2割、オッサン5割、ジジババ3割って感じなんだよな。この中で圧倒的に不快なのがオッサン連中