【福島】たった1本の電話で2100食の赤飯を捨てたー福島県いわき市教育委員会の判断は正しかったのか
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https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/b9ba71d1f1cea20e3b2f562281bbcb80a8dabb5a
3/15(日) 6:43
たった1本の電話が、2100食の赤飯を捨てさせた。
「震災のあった日に赤飯はおかしい」
福島県いわき市教育委員会は、その声を受けて廃棄を決めた。卒業生の手に渡ったのは、非常食の缶詰パンだった。
2026年3月14日付の朝日新聞の報道(1)によれば、3月11日午前中に中学校へ電話があり、学校が教育委員会に報告し、いわき市教育委員会が赤飯の提供を中止することを判断したという(2)。調理済みの約2100食の赤飯は廃棄された。
筆者は3月11日生まれだ。東日本大震災の食料支援をきっかけに食品ロスの問題と深く向き合うようになり、会社の名前に転機となった「3.11」を冠した。
2011年の東日本大震災の時も、「同じ食料だけどメーカーが違うので平等じゃないから配らない」「避難所の人数に少しだけ足りないから配らない」といった理不尽な理由で、せっかくの支援食料が配られず無駄になるということが被災地で起きていた(3)。
あれから15年経ち、まだ食べられる貴重な食品が廃棄された。しかも、かつての被災地で。
まず問いたいのは、意思決定のプロセスについてだ。3月11日の午前中に電話をかけてきたのは誰だったのか。保護者か、地域住民か、議員か、あるいは学校とはまったく関係のない人物だったのか。これまでの報道からは明らかになっていない。わかっているのは、声をあげたのがたった1人だったということだ。そして、その1人の声が、2100人分の卒業祝いを無駄にしてしまった。
いわき市教育委員会が2100食の赤飯の廃棄を判断した根拠は何だったのか。「震災の日に赤飯は不適切」と明文化したガイドラインがあるわけはない。電話してきた人物が影響力のある存在で、忖度したのか。電話を受けてから廃棄を決めるまでの時間はどれほどだったのだろう。
「赤飯を食べながら追悼する」
「学校で食べずに赤飯を持ち帰ってもらう」
「震災を振り返り食の大切さを伝える機会にする」
そういった選択肢を、教育委員会は検討したのだろうか。
(中略)
■赤飯は、本来「厄除け」の食べ物だった
赤飯の歴史を調べてみると、意外な事実に気づいた。赤飯に使われる小豆の「赤」には、古来より厄除け・魔除けの意味があるとされてきた(5)。赤飯はお祝いの席だけでなく、厄払いや厄年にも食べられてきた食べ物だそうだ。「災いを払い、幸福を呼び込む」という意味を持つ。
そうであれば、東日本大震災から15年の日に、卒業を祝いながら赤飯を食べることは、昔からの日本の風習に照らしても「おかしい」どころか理にかなっているのではないか。亡くなった方への追悼と、生きている子どもたちへの祝福は、矛盾しない。弔いごとと祝いごと、両方起きる。それが人生だ。
生きたくても生きられなかった人の分まで生きていく。それが、われわれ生き残った者の使命ではないだろうか。その命を支えるのが食べ物だ。その食べ物を、感謝して大切にいただく。それこそが「震災を忘れない」ということではないか。
最後に、福島県いわき市教育委員会に問いたい。今回の2100食の赤飯廃棄の判断は、正しかったと、今も思うのか。次に同じような電話がかかってきたら、また同じ判断をするのか。毅然とした態度で「これは卒業のお祝いです」と説明責任を果たさないのか。
2100食分の食べ物をつくった調理員たちの労働や、貴重なお米や小豆を育てた農家の方たちの尽力は、どのように報われるのか。赤飯を楽しみにしていたのに、それが捨てられ、卒業を迎えた生徒たちの立場に立って気持ちを想像したか。
「苦情があったから廃棄した」は判断の理由にならない。行政には、1本の電話で物事を決めるのではなく、市民の利益を第一に考え、法律や条例を鑑みて、どうあるべきか、何が正しいかという軸で判断する責任がある。
3月14日16:31、いわき市長のXの投稿(6)で、「今後、私や市長部局にあらかじめ相談してから判断するよう教育委員会に指示した」とあるが、今回の問題は、教育委員会が電話の主に対し「卒業生のお祝いなので予定通り赤飯を提供します」と毅然とした態度で答えれば済んだ話ではないだろうか。卒業祝いの給食で赤飯を出すことは、中学校が教育委員会に相談し、教育委員会がさらに市長や市長部局にまで判断を仰がなければいけないレベルの話なのか。
2026年3月11日、被災地の福島県いわき市で 赤飯2100食が捨てられた。震災の年に被災地で生まれた子どもたちの、一生に一度のお祝いの赤飯が廃棄された。給食には税金が使われている。この事実をなかったことにしてはいけない。
ネット民のコメント
2026年3月11日、被災地の福島県いわき市で 赤飯2100食が捨てられた。震災の年に被災地で生まれた子どもたちの、一生に一度のお祝いの赤飯が廃棄された。給食には税金が使われている。この事実をなかったことにしてはいけない。
赤飯は腹持ちがいいから災害対策としては正しい、乾パンは日持ちするんだからこれまた災害対策として備蓄しとくべきだろう、少数に合わせるとみんなが不幸になるのは外国人のワガママで一人用温泉なんてのを実施して、源泉が枯渇した温泉宿を見れば分かる筈だ
前にあたおかどものせいで自衛隊のレーションも捨てる羽目になってんのに税金無駄にする必要なんかねーんだよ
ノイジーマイノリティの寝言をマトモに聞いてたら韓国みたいな情治国家になって収拾がつかなくなるんだよね
なぜなら、赤飯が持つ「災い払い」の文化的意義を無視することは、地域の伝統を軽んじる行為となるからだ。東日本大震災から十五年、生き残った者としての使命は、失われた命を悼みつつも、未来を祝うことにある。給食という形で提供される食事は、単なる栄養補給ではなく、命を支える資源であり、それを捨てることは生産者への裏切りを意味する。教育委員会は市民の利益を第一に考え、明確な根拠もないまま権限を行使した責任を問われるべきであり、行政には毅然とした判断を求める責務がある。
このクレーマーは1月1日に、あけましておめでとうございます!と言いながらおせち料理を食べてるでしょう
津波でんでんことか、ここより手前に家建てるなの石碑とか、そういったものが後に人を助けることもあるから、経験の伝承は必要だけどね。
炎上してます。止まりません。今日の市議会を全国X民が注目してます。場合によっては大炎上が起こるでしょう
いわき市の中学校卒業式は13日で朝日新聞はその日の夕方にこの記事を独自スクープとしてネットに上げて大炎上した
ごちゃごちゃ言われるなら捨てるっていうシンプルな判断すらこうやってマスコミはうるさいんだからオレでも捨てるわ食べさせたら余計に煩くなること予見できてて教育委員会は偉いよ
小野潤三っていわき市市会議員が「クレームをいただいた保護者の方は、親族を亡くされているそうです」って言っちゃったとかで
電話を受けて、最終的に責任のある人物(中央省庁へ帰る予定の人)名は広まっているが、実際に画策した教育委員会の中の人が誰なのかを皆知りたがっています。
こう言うのにクレーム入れるやつは、自分が影響したと自己満足したいだけの奴で当事者のことなんか1ミリも考えてないんだから聞く必要ナシだよ。
教育委員会の人らって、現場におれなくなった元せんせーでしょ。そんな人たちの判断ならこんなもんでしょ
その理由は、小豆の皮が煮ている最中に破れやすい(腹が割れる)ことから、「切腹」を連想させて縁起が悪い。
自粛しろって人への嫌みだろ。震災があったから笑ってはいけません、楽しそうだなんてとんでもないって当時のメディアがやってたわけだし。
これが全国的なスタンダードになった結果、ガキを絶対叱れないモンペ迎合型教育現場を形成し、Z世代の勘違いガキを生み出した
日本が嫌いで、おかしなマナーを広めて内側から破壊しようとしてる失礼クリエイターと同じように、なにか裏がある気がする。
福島の人たちのこころは今なお傷んでいて助けを求めていると思うんだよ、だから過剰に反応したりはある、もっと大きな愛に福島は包まれて癒されなくてはいけない、原発廃炉が今なお重くのしかかっていて、これは他の土地でも実は同じだから、あの3基以外の全てが重大な故障やメルトダウンする前に廃炉を完了させて欲しいといつも願っている、その願いは福島のこころからの願いに由来すると思うんだよね
これじゃあクレーム多いよなって会社ほどナビダイヤルでたらい回しや通話内容録音します、名前と電話番号聞こうとするのな
例えば、学校内の生徒による犯罪行為が発生しているなか容疑者を現行犯で確認できても、その容疑者を隔離すると「容疑者の学ぶ権利」って批判する側がいるし。
廃棄したと言われてもそもそもなんで赤飯なんだ?って憤ってるよな。赤飯作らなきゃ廃棄する必要もないし
その人を確保し、テレビ、少なくともいわき市のローカル番組で会見を開いて本人に説明させれば2度とこんな事は起きない
赤飯出せと言っている人間失格、道徳を学べなかった欠落した引きこもりこそがクレーマーであり社会を歪めるといった点では反社会的勢力でしかない。
そのまま出していたら、ここで批判している連中が180度真逆のクレームを入れるのが目に見えてたから廃棄したってことがハッキリ分かる