ROMSEN

2chで話題になったニュースを
短時間で読める まとめサイト

【テレビ】“お茶の間”楽しませた昭和生まれのクイズ番組


Yahoo!ニュースオリジナル1/19(水) 12:44配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d4559b39441570042d497c3c8d04ba325386ef6c

まだ“お茶の間”が生活の中に残っていた時代で、出場者さながらテレビの前でともに答えを出し合って楽しめるクイズ番組はかっこうの娯楽として家族の団らんの中でも存在感が大きく、テレビ各局は趣向を凝らしてさまざまな番組を生み出していた。そんな昭和生まれのクイズ番組を振り返ってみた。

■庶民のあこがれだったハワイ旅行「アップダウンクイズ」
解答者6名が正解すると一段ずつ上昇するエスカレーター式ゴンドラに乗り早押しクイズにチャレンジ、不正解だと一番下まで戻されてしまうが、みごと10問正解して一番上まで上り詰めるとハワイ旅行と賞金10万円を獲得しアシスタントからお祝いのハワイアンレイをかけられた。

■NHKならでは「連想ゲーム」「クイズ面白ゼミナール」
NHKの「連想ゲーム」は1969(昭和44)年から1991(平成3)年まで22年に渡り放送されたクイズ番組で、同局の紅白歌合戦のように解答者が紅・白2チームに分かれて競い合うスタイルを採った。NHKといえば1981(昭和56)年から1988(昭和63)年まで放送された「クイズ面白ゼミナール」も忘れがたい。

■スリリングな展開で人気「クイズタイムショック」
1分間に12問のクイズを解き何問正解できるかを競う。時計の文字盤を模したセットを背景に高い位置に解答席が設けられ、成績が悪いと解答者を乗せたまま席が回転したり煙に包まれる。背景の文字盤は60個のランプが秒針の役割を果たし、刻一刻と時間が経過していくスリルが演出された。

■昭和から令和、3つの時代またぐ「パネルクイズ アタック25」
児玉清司会で1975(昭和50)年に番組がスタートした。クイズに解答しつつ25枚あるパネルをすべて自分の色にすることを目指すスタイルで、オセロゲームのような攻防戦も見どころだった。

■久米宏が全国に一躍ブレークした「ぴったしカン・カン」
1975(昭和50)年、久米宏が司会を務めた「ぴったしカン・カン」(TBS系)もスタート。こちらは1986(昭和61)年の終了まで人気を博した視聴者参加型のクイズ番組だ。

■大橋巨泉の司会で民放きっての人気番組に「クイズダービー」
1976(昭和51)年には大橋巨泉が司会の「クイズダービー」(TBS系)がスタートした。“ダービー”とタイトルにあるように、出場者が解答者の中からクイズに正解するだろうと予想する人物を選び「はらたいらさんに500点!」などと持ち点をかけて得点を増やす競馬方式が特徴。解答者には問題ごと倍率がつけられた。巨泉の司会では同局系の「世界まるごとHOWマッチ」も1983(昭和58)年から1990(平成2)年まで放送され人気番組となっている。

■超ド級の大型番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」
1977(昭和52)年には派手な存在感を放つ大型クイズ番組が登場した。「アメリカ横断ウルトラクイズ」(日本テレビ系)だ。視聴者参加型のクイズ番組だが、日本一のクイズ王を決めようと全国各地から挑戦者を集め、アメリカ大陸を横断しながらクイズに挑戦。敗者はその場に置いていかれ、最終決戦は勝ち残った2人がニューヨークで雌雄を決するというもの。

■関口宏が所狭しとスタジオを歩く「クイズ100人に聞きました」
司会者席に座って司会をするスタイルが定番だったなか、関口宏がタイピンマイクをつけてスタジオをまわるアクティブで新しいスタイルの司会ぶりが目をひいたのが1979(昭和54)年スタートの「クイズ100人に聞きました」(TBS系)。一般人100人へのアンケートを設問に、その結果を推測して答えるというもの。

■愛川欽也と楠田枝里子の名コンビ「なるほど!ザ・ワールド」
「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系)はタイトル通り、日本ではほとんど知られていない話題を現地からのクイズ形式のレポートで紹介するスタイルで人気を獲得した。

■柳生博のコールも印象深い「100万円クイズハンター」
やはり1981(昭和56)年には柳生博司会の「100万円クイズハンター」(テレビ朝日系)が始まった。「ハンターチャンス!」のコールが印象深い。

■クイズの甲子園「全国高等学校クイズ選手権」
1983(昭和58)年から始まった「全国高等学校クイズ選手権」(日本テレビ系)も毎年夏季開催で現在も続く。同じ学校に通う3人1組のチームであることが条件で、各地の予選を経て全国大会での優勝を目指す。

■ミステリーハンターも楽しみ「世界ふしぎ発見!」
1986(昭和61)年スタート。世界各地をミステリーハンターと呼ばれるリポーターたちが取材、そのレポートを受けてスタジオでは歴史や文化風習をはじめミステリーにいたるまでクイズやトークで紹介する。
(文・志和浩司)
※全文はリンク先で

ネット民のコメント

  • 巨泉や関口宏の司会は「大人が番組を仕切っている」感じがあって安心して観れた
    今の司会者はどれもこれも子供じみていて観てられない

  • このランナップ見ると
    今の時代ってみんな何もアイデア生み出せなくなったんだな
    ってつくづく思うよな

  • なるほど!ザ・ワールドが王者だと思うわ
    他は狭いところを狙いすぎ

  • クイズハンターはゲームのTAS動画が面白すぎて本家を越えちゃったからなぁ。

  • 田中義剛が『巨泉さんは俺が作った番組だって結構いうけど海外の番組の真似が多いんですよね』って世界まるみえで発言してたなw

  • 連想ゲームで加藤芳郎が「谷啓さん」とヒントを出して野口五郎が「ガチョウ!」と即答したのは本当だよ

  • クイズタイム小学生はスッポンポンの女性が回答間違える度に隠れてる部分外されるっていう大人の番組や

  • 「チョメチョメ」を流行らせた「アイアイゲーム」、それと東海エリアだと「天才クイズ」、こぶ平が司会をしてた

  • 昭和は土曜は日本昔話→クイズダービー→全員集合→明日は学校が休みで躁、日曜はヒントでピンと→西部警察→明日学校で鬱って流れだったな

  • グランドキャニオンの時は本当に敗退者が一人で歩きだしてしまって、スタッフとか近ツーの現地コーディネーターの人が必死になって捜索したという逸話も

  • クイズ番組はどんどん難易度上がってカルトQとかお茶の間はほぼ解答出来ないようなの出て来て一周して誰でも閃けば解ける謎解き系にシフトした感じ

  • アメリカ横断ウルトラクイズの最終週、決勝終わった辺りで来年迄見れないと思うと泣いてたガキの頃ww

  • 机の前にルーレットのようなランプがあった気もするし 馬のぬいぐるみが浮かんでくるのは俺だけか? あっ!キュウベイって名前か

  • クイズダービーの問題で外国で大雨が降ったあと動物が落ちてきた、その動物とは?という問題を小学生の俺がアマガエルと当てたのはいい思い出で、50歳超えてまだ覚えている

  • それと、なんの番組かわからないけど、爆弾?を持って隣の人にまわしていって、爆発した人が透明なハコに閉じ込められて上から粉が降ってくる罰ゲーム受けるやつでメッシーフェチに目覚めた

  • ハワイパートではアグネス・ラムも登場、またアナハイム・スタジアム(エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイム)のパートでは遠征中のニューヤンキースも登場した

  • ウルトラクイズは今復活させようとしても絶対無理だろうね。当時と違って今はスマホあるから検索したらすぐ答え解ってしまうし

  • 日航墜落事故の時、聞きましたの司会の関口宏が行方不明だ。とか番組内で続報が入ったら伝える。だの言ってた記憶があるから、あの番組生放送だったのかな。

  • ようつべでうpされてる幻といわれてた人工衛星クイズ見たらどんだけ手間と暇とお金かけてるかわかるよな。

  • ベルトクイズQ&Qは夏休みこども大会でほとんどの参加者が賞品にラテカセを選んでいた年があったのは覚えてる

  • あれの逆バージョンで、日本横断ウルトラクイズをアメリカ人がやってくれないかな。今日本好きなアメリカ人が多いし面白そう。

  • アメリカ横断ウルトラクイズを見ていると、子供ながらに仕事はどうなってんだ?と心配になり、何日休んでいるのか計算してた

  • 準決前にスタッフが参加者の部屋を訪ねてうんぬんとか。真偽わからぬそんなのも含めて昭和だったんだろうね。

  • 長戸勇人という人もウルトラクイズで記憶に残るな。13回くらいかな。決勝は同じクイズ研の永田?だったっけか。もう記憶も怪しい。

転載元:http://itest.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1642568474/