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金持ちに怒る「西郷隆盛」、実は年収1億円超え


幻冬舎 1/12(水) 12:01

「前田利家は人件費をケチりすぎて謀反された」「樋口一葉は愛人手当で食いつないでいた」……作家・歴史エッセイストの堀江宏樹氏は著書『偉人の年収』(イースト・プレス)のなかで、偉人たちの生々しすぎるお金事情を暴露している。歴史書で読んだ「憧れのあの人」の裏側、本連載で一つずつ追っていこう。初回は西郷隆盛。

「金」と「権力」に怒れる西郷…まさかの『お前が言うな』状態!?
●陸軍大将「西郷隆盛」…賞与抜きで年収1億2,000万円!?

西郷隆盛といえば、出世や収入にこだわらなかった“清貧の士”のイメージが強いのではないでしょうか。たしかに、彼は次のような言葉を残しています。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末(しまつ)に困るもの也(なり)。この仕末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業(たいぎょう)は成し得られぬなり」(西郷隆盛『西郷南洲翁遺訓』)。

――命も名声も、官位も財産もいらないという人は、取り扱いに困るものだ。しかし、誰かの思い通りに動かしにくい人でなければ、国家の大事業を成功させることはできない……などと意訳できるでしょうか。

また、明治維新後の西郷は政府の重鎮として仕事を始めていますが、「政府内の役人たちは、揃いも揃って金や権力に汚い」と激しく批判したこともありました。

ところが、その西郷は明治新政府において、最高水準の給与やボーナスを受け取っています。「西郷隆盛の年収は1億2,000万円」と聞いたことがある方も多いのでは?

この数字にも根拠はあるのです。明治5年(1872年)に陸軍大将になった西郷の月給は500円。当時の1円=現代の1万~2万円とされるため、多く見積もれば月給1,000万円、賞与など抜きでも年収1億2,000万円だったといえるのです。本連載では基本的に明治時代の1円=現代の1万円として計算していますが、その場合でも年収6,000万円。西郷は高給を得ながら、ほかの役人の贅沢な暮らしぶりを批判していたのでした。

清貧への理想と現実…「華麗なる西郷家」の真実
●世間とのズレ…西郷家が考える“質素な生活”

東京への引っ越しの約1年前にあたる明治3年(1870年)、まだ鹿児島にいた西郷は、政府から派遣されてきた岩倉具視たちに「改革案」を手渡しました。その中では「政府の中枢に位置する要路の者は驕奢(=贅沢)な生活を止め、質朴の風を守るべきである」と西郷本人が言っているのですが……。彼にとって“質素な生活”は、われわれが考える“豪邸暮らし”にあたるようです。

西郷家の屋敷内でどれほど華麗な生活が行われていたか、具体的な情報は残念ながらありません。ただ、それをうかがい知ることはできます。

西郷の次男・寅太郎とその妻・信子が、夫婦で暮らした牛込区(現在の新宿区)の豪邸を売りはらった時の状況が興味深いのです。西郷の2人目の妻・糸子は当時53歳で、寅太郎夫婦と同居していました。しかし、信子の荒い金遣いを、糸子は咎めなかったようですね。いくら糸子が評判通りの控えめな人柄だったとしても、家を売らざるを得なくなるほどの浪費を止めないのは不干渉すぎるのではないでしょうか。

いくら信子が北海道経済界を牽引し、北海道セメント(のちの太平洋セメント)の創業者にもなる園田実徳の愛娘として贅沢に育てられたとはいえ、糸子の不干渉ぶりには、彼女が信子の浪費を仕方ないと受け止めていたことが透けて見えるようです。人形町のお屋敷で暮らしていた頃の西郷が、家族に「体面維持のため、1ヵ月に100円(=100万円)は使いなさい」と命じた噂の真実味も増しますね。

明治以降の西郷隆盛を“清貧の士”と呼べるのは、金遣いがさらに荒かった新政府の役人たちと比べた場合だけ。貧しい時代が長かった反動かもしれませんが、一般的には“贅沢好き”というしかない生活を、西郷は家族ともども送っていたと推定されるのです。

●上野公園の西郷隆盛像へのクレーム

明治31年(1898年)12月18日、上野公園の西郷隆盛の銅像の除幕式が行われました。糸子は銅像を見たとたん、「やどんしは、こげな人じゃなかったこてえ、浴衣で散歩はしもさんど(=私の主人はこんな風体ではない。浴衣で散歩なんかしなかった)」と不満を述べ、式典の最中から西郷の弟・従道に何度も「銅像は似ていない」と言って憚らなかった……そんな逸話もあります。

※続きはリンク先で
https://news.yahoo.co.jp/articles/b508f8bf7b4d13da4ba8ddcb1ffeb1688f457631
上野公園の西郷隆盛の像(PIXTA)

ネット民のコメント

  • >西郷家の屋敷内でどれほど華麗な生活が行われていたか、具体的な情報は残念ながらありません。

    仕事に見合った報酬を受け取ってただけで
    西郷の金遣いが荒かったって情報は無しじゃん。
    何なのこの記事?

  • 全く似てないのは知ってた
    西郷どん

  • そうじゃないと弟さんの邸宅が西郷山公園だったとかにならないし多少は。。。

  • そんなこと言ったらあなた、いわゆる革命家のチェ・ゲバラは大農園の息子だし、エンゲルスはドイツのライン地方有数の資本家の長男だったじゃん。

  • たった一億か、働けよ大臣ども

  • 日本初の陸軍大将がたったの1億円って安すぎる
    賄賂も取ってないだろうに

  • 日本の偉人たちは世界標準の物差しで
    観るとろくでなしの巣窟じゃね
    神の目に生きてないから
    アウトレット品みたいな
    まあそこまで言うと言い過ぎかもだけど
    偉人への捉え方もこの国はやり直しだろう

  • 既得権益を叩くヨシムラ維新が,とっくに既得権益側になっちゃってるようなもんだな。

  • その官職を辞して薩摩に引っ込んだのに何をくだらんイチャモン付けてんだこいつは

  • 当時のエリート指揮官として、正当報酬としてはむしろ低すぎ
    同レベルの当時のエリートはこの10倍程度収入を得てた

  • >堀江 宏樹
    >作家・歴史エッセイスト

    韓国の敵・征韓論の西郷隆盛を貶めようと必死杉ワロタ

  • いまの議員が政党助成金、鉄道航空機免除、文通費、宿舎、公設秘書、歳費、ボーナスをすべて金額に換算したれいくらになることやら

  • 慶喜って将軍おりた後に本妻居るのに側室二人囲ってそっから子供10人超えで産ましてる女好きだったらしいぞw

  • 西郷さんの浴衣の銅像も糸子から見れば海パンに浮き輪を抱えてるぐらい恥ずかしい銅像に見えて不満だったんだろ

  • 大久保利通は現代価値で年収200万で、死んだときに財産調べたら国のための自分の名義でした借金が2000万くらいあって恩賞とか全て借金のカタに取られた

  • 渋沢栄一は数百に及ぶ企業を立ち上げたが本人は第一銀行の取締役としての給与しか受け取っていなかったという

  • 追いかける人ってのは金のために動いてるわけだから、例えば人民のためなんて考えて行動する人から見れば糞に見えるのは理の当然

  • 独裁と呼ばれて地元で嫌われている大久保なんて資材を投げ打ってさらに借金までして日本の近代化に努めたというのに…

  • 西郷さんってドラマでみる限りでは、図体だけ大きくアタマの回転が鈍く口下手で大雑把な激情馬鹿にしか見えないんだが、実際は違うみたいね。

  • 士農工商から仕事を失った人や借金を無かったことにされた人が多いのにな、この頃から国民は馬鹿にされてたんだな

  • 逆に>>321のように現代の倫理基準を持ち出して歴史上の人物を蔑む事には全く意味がない。

  • 明治の重税から第二次世界大戦まで軍人の給料を削れなかかったのがマズかった。明治初期の少佐の年収は江戸末期の知行2000石くらい。明治維新は貧乏武士が自分達の出世の為に起した、商人や豪農から搾り取るのが目的だった。

  • 女好きだったけどお金に対しては極端なくらいに無関心。そのためこれといった金銭的な醜聞がなく明治天皇(明治天皇のおべっか使い嫌い、守銭奴嫌いは有名)から一番信頼された

  • 西郷隆盛の場合は金銭的な醜聞ってあるの?金もらっててもそれを自分のために使わず、自分を慕う無職の士族のために使ったりしたんじゃないの?西南戦争の原因になった私学校ってのも西郷が不平士族の暴発抑えるために作ったようなもんだし

  • なかったこと成し遂げ、豊臣秀吉もまだ果たすことのできなかったことを果たすことに越したことはない」

転載元:http://itest.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1641967990/